Top > ママのきもち > わたしのきもち > 私の指標になっているブログ
「S嬢のPC日記」は、RSSリーダーで更新通知が来るたびにチェックしているブログ。
彼女の考察は、私とは全く違った視点で書かれているから深く考えさせられるが、私のように国語力のない^^;人間が読むと、暗号のように思えることもある。
一言で言うと、難しいのだ(笑)。(←スミマセン)
そこで、今回、「障害を知る」書籍紹介 というエントリーで、わたし自身ハッとしたことがありまして。
トラックバックするには、おこがましいくらいなんですけど^^;
先日、健常児と障害児の親の壁という記事をあげたばかりなのだけど、そこで私は健常児、障害児、を連呼していたのです。自分で書いていても、なんかしっくりこないのはあったのだけれど・・・。
だけど、「違うのよぉー!」と叫びたい気持ちがあった。
娘はどう見ても普通ではないし、かといって障害児と呼ぶには心身ともにとりあえず健康。
ハンディを持っている、と表現するのも結局同じことだろうか。
だから、一般的な子供たちを健常児と呼ぶことで、私は壁を自分から作っていたんだろうなぁ。
結局うらやましかったんだろうなぁーと。不安ではなく、私の場合、羨望。
普通の子さえ産めなかった、といういじけた心がそう呼ばせたんだろうなぁ、と。
しかし、いつ私は「健常」という言葉を覚えたんだろう。
記憶をたどってみると、ネットで知ったような気がする。
障害児と健常児を考えた時、こちらもS嬢さんのものだが、今後のネタ(にするかもしれない)種の最後にあった、
事実は事実であり、プラスの理由を探すということはマイナスの理由を探すという揺れの一端とあまり変わらないこと。わたしがダウン症者であったなら、そのことの解釈ということより、わたしがわたしであることを認められたい。
という文章に出会った。
そうだ、なぜこんな単純なことに気がつかなかったんだろうって。
今まで親サイドの一方的な見方しかしていなかったことに気がついた。
そんなわけで、そろそろ私も感傷から抜け出す準備に入らねば、なんて思い始めている。
その取っ掛かりは、障害を知ることなのかもしれない。
今まで、障害とは何たるか、ってことすら知ろうともしなかった。知るのが怖かった、とも言うべきか。
S嬢さんのブログは、私にとって指標になっている。
希望というよりも、現実。これから待ち受ける現実を見つめるための指標的ブログ。
もしかしたら、ダウン症児を授かったばかりの親御さんにはきついと思われることもあるだろうけれど。
それは、大先輩の視点だからこそ、だと思う。

コメント
はい、こんにちは。
えっとですね、以前、ざざっと読ませていただいたときに思ったことがありまして。
障害うんぬんではなく、印象として持ったのは、
「ああ、この方は、母親に愛されたかったのだ」ということ。
障害に関しての視点に、お母様の価値観が、かなり影響を持っているということも、そう思った観点です。
こうしたケースは、けして珍しくないと、わたしは思います。
http://blog.goo.ne.jp/satomies/e/7a72c401ca32bed375233433716a1cd0
以上、失礼、あったら、ごめんなさいね。
>S嬢さん
あああ、こんなにも早くコメントがっ!
なんだか、すべてを見透かされてるようで怖くなってしまいました^^;
このことは自分でもよく分かってるつもりなんですよね。
俗に言うアダルトチルドレン。
母の前では良い子でいよう、良い子でいた方が評価が高く、愛してもらえる。とはいえ、なかなか良い子でいられなかったので、評価はいつも低く、愛を感じたことはありませんでしたが。
このことに気づいたのが、やっぱり娘を持ってからかな。
しかも、スペシャルな赤ちゃんだったので、イヤというほど苦しみました。自分のことと、子供のことと、母(祖母)のこと。
母の呪縛から逃れたいと思う一心でここまできたような・・・。
かといって、母の存在はやっぱり大きく。
母の評価なしでは、自分の存在を肯定できない時さえあります。
改めてS嬢さんに指摘されて、かなりドキッとしてしまいましたが、なんだか分かってもらえてすごく嬉しかった。ああ、私だけじゃなかったんだ、って。
ああ、よかった、気を悪くさせてないですね、突っ込んだこと、ゴメンね。
いや~、アプローチかけてくれてよかったですよ、こんなこと、突然乗り込んで言えないもの。
母子関係の影響って、大人になることで「見えてきてしまう」きっかけが、人によって経験の中でいろいろ違うんだろうなと思ったりします。
この記事とコメント欄、そしてトラックバック記事、興味深いですよ。
http://nonokayume.blog14.fc2.com/blog-entry-90.html
http://nonokayume.blog14.fc2.com/blog-entry-135.html
ああ、ダックさんとこ、ブックマークに「gooのこわいおじさん」が入ってますね。
http://nonokayume.blog14.fc2.com/blog-entry-78.html
こんばんは。
http://ange.cc/test/feelings/myfeelings/post-67.php
こちらの記事では稚拙な文章の上、失礼な書き込み失礼致しました。
私も考えるところがあって、お伝えしたかったこともあって、感情にまかせて書いたものなので、なにぶんダックさんの心を傷つけてしまったかもしれません。
けれど、私はこういった意見や立場の違う者同士の思いというものはいくらでも交換しあって、歩み寄ればいいなと思ってます。立場が違うのですもの、私もダックさんの「違う」の意味はすべて分からないし、私の思いもすべては伝わらないかもしれない。
けど、すべてが相容れられなくても、食い違っていても、大切なのはそれぞれの思いを素直に交換しあうことじゃないか、と私は思っています。
なかなか表現力が無くて御免なさい(汗) この問題は本当に難しいですね…。でも、私は健常だから目を向けないとか、目をそらすってことはしたくないなと思ってます。考えて考えて、答えよりも考えることに意味があるのかな?最近はそう思うようになりました。
りこままさま。
子どもの発達段階、というものがあるように、いわゆる「ダウン症児の親の通る発達段階」というようなものがあるんです。
障害児の親が通る道筋としての心理学研究も行われています。
http://www.geocities.jp/tokusyukyouiku/souki2.html
「適応」の段階で、「もしも障害の無い子だったら、自分はこうだったかもしれない」という思考は、誰でも生まれるものなんです。
その思考の具体的なものは、人それぞれ違います。その上で、ダックさんが書かれたものは、多くの人があげるもので、実に一般的なものなんです。
つっこみどころはあるんですよ、でもね、それはまあ、適応段階だとご理解いただけるとありがたいです。
ダックさん、
上にあげたアドレスの説明に出てくる「先天奇形」の、「奇形」という言葉に怖がらないでくださいね。
んなもの、単なる言葉です。「先天奇形」「先天異常」、生まれたときの段階で、検査に引っかかったということを表す、単なる記号のようなものです。
人間の体なんてものは、誰でも人体標本とそっくり同じなんてことはなく、臨床症状が無いから発見されないだけで、かなり高い確率で、血管の位置がずれてるとかあるものですよ。体質だって、人それぞれなのだしね。
怖れを発生させる大元は「自分は絶対である」というようなもの。そんなものはね、実は空論なんですよ。
わたしの友人は、のどちんこが二つに割れてました、漫画ののどちんことそっくりで。口をあけただけで笑いが取れる。これ、美空ひばりもそうだったんですって。
>S嬢さん
いえいえ、とんでもないです。
私も心の奥底で、S嬢さんの助けを求めていたのかもしれません。
母子関係の影響って、こんなところで出るのか!とわたし自身ビックリしたほどです。
これほどまでに影響を受けているとは思いもよらず。
自分がACだと自覚したのは、娘を持ってから。
母はある意味「完璧主義」だったんですよね。
そして、妙に知識が豊富だったり。突っ込みどころ満載ではあるけれど、反発を許さない母。
そんな母のようになりたくないと自分では思っていたのに、結局は母の価値観をそのまま受け継いでいる自分に呆然としました。
でも、ダウン症もちの娘を持って初めて大人になれたような気がします。きっかけはどうであれ、いつかは「負の螺旋を断ち切る」時が来るのかな、と思いました。
しかし、自分が絶対であるという意識って不思議とあるんですよね。
私も見えないところで奇形があるのですが(笑)、それが分かった時、「あー、自分は(体は)完璧だと思ってたけど、そうじゃないのねぇ」って笑っちゃった経験があります。
>りこままさん
立場や意見の違うものどうしが、話し合うことで理解できるか、と言うと、そうじゃない。
でも、私は、話し合う姿勢は大事だと思っています。
全部理解できなくても、です。
だって、生きている環境、価値観が違うんだもの。
すべて理解できるなんてこと、到底不可能だと思うんですよね。
こうやって、歩み寄ってくれる方がいらっしゃると思うだけで、私は嬉しい、そう思っていますよ^^
こんばんは。
・・・そう言えば私も見えない奇形があるんだった。
肋骨の一部と鎖骨に先天性の奇形があって、結核の集団検診のレントゲンで引っ掛かるんですねぇ、コレが。
本来あっちゃいけない所に骨(影)がある・・・って事で。
引っ掛かると、慣れたもんで「あぁ、骨の奇形があるからそのせいでしょ、大丈夫ですよぉ。」と再検査を蹴る私。X線を余分に照射されたくないしぃ・・・。
本人は知らないだけで内臓や骨の奇形なんか珍しくないんだろうし・・・。
父が癌で人工肛門と人口膀胱になった時、見えない障害の悲しさに泣きそうになる事が多かった。で、次女が見える障害を持って生まれて来た・・・コレも悲しいなぁと・・・。矛盾だらけだわぁと思う。
いわゆる五体満足な子を二人授かって育てたけれど満足行く子育てとは程遠いもんだったし・・・。
・・・って、何だか訳判らなくなってきた・・・。
そういう人もいるのよって・・・見えようと見えまいと奇形も障害も病気も性格も体質も・・・全部、そういう人もいるのよねって自然に無理せず思いたい私です。
こんばんは。
ダックさん、先日はコメントありがとうこざいました!。
S嬢さんとのやりとり、”そうなんだ~”と感心しました。
本質を見抜く目、ああ、すごい。
雪がとけて春になるように、そこからまた始められそうですね。
私も母親に対する価値観の負い目みたいなもの、ありますし、私もリセットして始めたいと思いました。
色々な意味で、ありがとうございます。
これからも影ながら勉強させて下さいね。
>にゃおんさん
おっ、ここにも見えざる奇形持ちの人が(笑)
見える障害って分かりやすいけど、内部障害って見た目じゃ分かんないから辛いってよく聞くよ。
要は、自分が幸せだと感じることが大切かも。
不幸だと思ったら、すなわち不幸。
無理せず、その中で幸せを見つけることが出来たならば、それでオーケーな気がします。
>まちゃみさん
S嬢さんの経験や知識にかなわないけれども、いつかは登っていける地点だと信じたいです。
いろんな角度からものごとを見ることが出来るって、簡単に出来ないですもの。
こちらこそ、稚拙ではありますけれど、お付き合いいただければ嬉しいなと思います^^
S嬢さんへ
有難うございました。早速読んでみました。
紹介いただいた、
「保護者の心理」の中の
先天奇形がある子どもの親の心情の変化
この変化について、読んだ時、最初は自分の気持ちを整理することが出来ませんでした。
なので、自分の気持ちをここでちゃんと伝えることが出来ないかもしれませんが、今の気持ちを素直に書いてみたいと思います。
ダックさん、ここで私信のようなコメントになって申し訳ありません。
私は、ダックさんやS嬢さんと同じ立場ではありません。なので、私が考え、答えたことはすべては理解できないし、おそらくダックさんやS嬢さんの気持ちをすべて理解できないと思っています。
でも、私はどのような言葉でも、正直に受け止めようと思っています。それと、病気や症状に対する正しい理解は、立場が違う人同士が少しでも理解するためにはきっと、有効な手段だと思います。
本当に無知で、私はわかったふりをしているのだと思います。申し訳ありませんでした。そして、S嬢さん、本当に有難うございました。
間違った知識と先入観が一番の差別なのかもしれないですね…。自分が経験しないことや見えない事は自分で進んで見ることしか出来ない。私は自分の子に、何を教えてあげて、何を残してあげれるんだろう?そう思います。
ダックさんへ
>こうやって、歩み寄ってくれる方がいらっしゃると思うだけで、私は嬉しい、そう思っていますよ^^
有難うございます。私は昔から言葉だけは立派で、ごたく並べる最低なところがありまして…障害や症状をなにひとつ知りもしないで、自分の持っている知識だけで人に接しようとするから駄目なんですね…。S嬢さんのお言葉で少し、頭が冷えたように思えます。
ダックさんへの言葉も、もし衝突や行き違いがあっても、言葉を選ぶということは敢えてしないで、一人の親として書こうと思いました。
若い頃、虐待や放置を繰り返す親を見るたびに、「私はそうならないようにしよう」と誓ったこともありました。でも、同じ親にならないとわからない苦しみが分かったように、私はダックさんの気持ちをすべて理解は出来ないかもしれない。
でも、こうやってお話出来て、私もとても嬉しいです。私は「最低な健常の親」にだけはなりたくはありません。私が精一杯、心を働かせて理解して、子どもに伝えたいなと思っています。